色白ゆうじろうの無味無臭ブログ

怪奇・ホラー漫画を中心に、小説、エッセイなど読み物を投稿してます。

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「読書の秋」に熱き男の宇宙戦争はどうですか【SF小説】

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今週のお題「読書の秋」

 

読書の秋ですね。

本記事では、漫画ではなく、私色白おやじ的におススメな小説を紹介させていただきます。

 

秋の夜長に楽しんでもらえたらと思います。

 

SF小説なので好みはあると思いますが、非常に面白い作品です。

ちなみに映画化もされています。

ロバート・A・ハインライン

というSF作家の作品です。

 

 

「宇宙の戦士」

 

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すいません。稚拙な絵ですがファンアートを書きました。

 

 

 

鬼才ポール・バーホーベン監督による映画

スターシップトゥルーパーズ

と言えばご存じの方も多いのではないでしょうか。

そうです。あの映画の原作です

原作とはちょっと違うところもありますけどね。

原作では重要なファクターである「パワードスーツ」も出てきませんからね。

軍隊やナショナリズムに対する皮肉めいた表現をしていますしね。

 

まあ、おぞましい虫の大群との死闘は圧巻でしたね。

映画は。

 

 

あらすじ

 

おれは心底から入隊したかったわけじゃない。

―ジョニー・リコ 

 

宇宙植民時代、高校を卒業したジョアン・リコ(ジョニー)は友達の誘いのままに深く考えず軍隊に志願します。

ジョニーは非戦闘部隊チックな配属先に志願し、危険な最前線である「機動歩兵」を避けます。

 

「ひゃあ、歩兵ですって?そいつは貧乏籤を引き当てましたね!」

─臨時ボーイ

 

そして、適正が認められず、最終的に配属されたのは最も過酷な「機動歩兵」。

リクルーターである艦隊軍曹も「おれも機動歩兵出身だ!」と喜んでくれますが、彼の右手と両足は戦争により失われていたという…

 

「自分がくしゃみをしました、軍曹どの、と言うんだ。この馬鹿もん!」

―ズイム軍曹

 

後悔の念いっぱいのジョニーは新兵として猛訓練を受けていきます。

そして、始まる宇宙生物との全面戦争。過酷な訓練、同期生の不祥事から除隊、鞭打ち刑を目の当たりにし気を失うジョニー

 

心が折れかけたジョニーに、高校のデュボア先生から手紙が届きます。

 

人間として耐え忍ばれる最も崇高な運命は、愛する祖国と戦争の荒廃とのあいだに、その身命を投げ出すことなのだ。

(中略)

幸運を祈る、戦士よ!

わたしはきみを、心から誇りとする。

―機動歩兵中佐(退役)ジャン・V・デュボア

デュボア先生の手紙を受取り、折れかけていたジョニーは「難関」を通過し、一兵士として成長し、艦隊「ロジャーヤング」にカプセル降下兵士として配属されます。

ジョニーは、職業軍人となることを選び、士官学校へ入り1人前の軍人となっていきます。

そして、異星人「クモ野郎」と激闘を繰り広げていくのです…。

 

というストーリー

 

オススメポイント

パワードスーツかっこいい

ジョニーの配属する「機動歩兵」達は、いわゆるパワードスーツを装着します。

作中では「強化服」とありますが、ゴリラのような鎧を身に纏い、素早く移動し、敵に肉薄、敵を蹴散らします。

膂力は増大し、無線やレーダー、武装まであるという。


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(作中挿絵 カックイイ!)

そしてこのコテコテのパワードスーツを装着し、降下カプセルに乗り込み、敵の惑星へ攻めいるのです。

男のロマンです。

 

「ヘイロー」「COD」にもカプセル降下のようなシーンがありますが、私は世のこのカプセル降下シーンが大好物です。

怯える乗組員と否応なしに戦場に送り込まれる瞬間…

 

カプセル降下のはしりは、この宇宙の戦士でのリコなのかなぁと思います。

 

 

国家社会についての考察

本作、「軍国主義的」「ファシズム的」と非難され、議論となる事も多いそうです。

本作の社会では、兵役を全うした市民でなければ参政権が与えられません。

兵士としての義務を果たせる人間は、個人の利益より、国家社会といった公共を優先できる…という理屈ですね。

 

上記のように、本作では「義務なくして権利なし」と説いています。

少年の凶悪な非行が跡を絶たないのはなぜか?

デュボア先生は「少年たちの「道徳性に訴える」と大人は宣って、彼らに義務を教えなかった。のべつなくましに「権利」を吹き込んだのだ」旨指摘します。

「すべての道徳性の基礎となるものは、義務である。」と。

ですので、暴力や手段としての戦争も本作では否定していません。

 

言葉で、生命、自由、幸福の追求と主張したところで、その権利を無条件に享受できるのか?

と本作は問います。

 

太平洋の真ん中で溺れた男にどのような生きる「権利」があるのか…と。(デュボア先生の例え話です)

 

「『権利』と称する神話を讃美し…そして、かれらの義務の進路を見失ってしまった。

そんなことになってもまだ存続できるほどにまで組織された国家など、どこにもあり得ないのだ」

と。

 

これですねぇ。

わたし、軍国主義云々は別にして一理あると思っています。

 

声高に主張される権利のもとに、果たすべき義務や守られるべき社会のルールがぞんざいに扱われている事があるのではないかと…

 

それが無視されることがあるのではないかと…

 

日々、ニュースなどを見て時々人間の道徳心を疑うような個人なり団体なりの事件や軋轢を目にします。

そのたびに思いますね…

 

この個人の自由、権利が大きく認められ成長した現在…この権利は何に保障されているんだろう。

国家社会?

それでは国家社会はどのように維持され、市民が築いていくのだろう…

そうなるとやはり、権利よりも「義務」の履行が社会全体を支える礎になるのかなぁ。

と思うのです。

 

まあ、フィクション作品ですし、本作発表当時の世情は冷戦時代で、ベトナム戦争に向かっていた頃らしいですからこのような作風になったのかもですが。

 

しかし、

権利の増大、個人の勝手でしょ

が、確立された平和な現代日本

 

本作のような「統制され、義務の履行がまず求められる社会」を垣間見て天下国家に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。

 

とりとめない上に難しいテーマなのでズルズル長文でごめんなさい(-_-;)

 

あと、今日から四日間ほど泊りがけで出張するので漫画・イラストはお休みです。

 

読んでいただきありがとうございました☺

 


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↑実家にあったよ

読みながら本記事書きました。